AIの恐怖と闘うWebライター
今回は私の本業である「Webライター」という職業が, 現在どのような状況なのかをお伝えしたいと思います. というのも, 最近登場した対話型文章生成AIである「ChatGPT」によって, ライターという職業自体が危機に瀕しているためです.
これからライターを目指したいという方(がいるとは思えませんが)に向けて参考となるような内容を. 加えて, AIツールの登場による心理的負担を私自身がどう乗り越えたのかについて書いていきます.
AIについて思い悩むと段々気持ちが沈んでいきますが, 最終的には未来に希望が持てるような内容を目指しました.
Table of Contents
Webライターの現在地
まず最初に簡単な自己紹介を致します.
私は2020年, コロナが始まると同時にWebライターとして活動を始めました. 主な仕事はブログ記事の執筆です.
LancersやCrowdworksといったクラウドソーシングサービスを利用してお仕事を頂き, 1記事~円という形で記事を執筆しております. 月に稼動する時間は40時間くらいで, 収入は月10~15万円ほどでしょうか. 稼げる仕事ではありませんが, 割のいい仕事ではあります.
理系の人間ですし, 学生時代は国語が得意教科というわけでもなかったのですが, やってみると意外と何とかなりました. 不動産とか金融とか科学技術とか, 何らかの専門性があると記事単価が高くなるようです. 文章の書き方については分からないことだらけでしたが, 3年もやっていると仕事に支障はございません. やりつつ身に着けられるスキルです.
ChatGPTの恐怖
この楽な場所でぬくぬく暮らしていたのですが, ChatGPTによって状況が変わりました. いつかは来るだろう, と思っていたAIライティングツールの性能が実用レベルまで上がってきたのです.
私が「これはヤバい」と感じたのは, 堀江貴文氏がAIを使って書いた「夢を叶える力」という本を読んだときでした. 確かに, 同じことを何度も繰り返し述べている部分や冗長な部分が多いですが, それでもやっつけ仕事としては良い出来です. ChatGPTは企業のオウンドメディアを作るには十分すぎる性能と言えるでしょう. 人間同士のやり取りでもコミュニケーションエラーはありますし, 打ち合わせなどでも時間を使います. そうした労力の一切を, ChatGPTならば排することができるのです.
ChatGPTには無料で使えるというアドバンテージもあります. 人間のライターに書かせると報酬を支払わなければならないうえに, 時間が掛かり, ちゃんと作ってくれるという保証もありません. AIの性能はこれからどんどん上がってくるでしょうし, 使いやすくもなっていくでしょう. ついに廃業か, バイトでも探そう, とこのときは考えておりました.
ネット上と現実との差
翻って, 私の仕事環境を見てみると未だ大きな変化はありません. ChatGPTが一般に公開されたのは2022年の11月, これを書いているのは2023年4月ですので, そろそろ半年が経過しようとしていますが, 少なくとも私が執筆する分野(半導体, エネルギー, 物流など)の仕事の募集は増えても減ってもないような気がします.
Twitterなどでは「ChatGPTでこんなことができる!」という話題が絶え間なく流れてくるのでライターはオワコンかと思いきや, それを使う人間側の柔軟性はそれほど高くないようです.
中には, 「ChatGPTを使って月に10本記事を書いてください」という募集もあります. 敵情視察として応募してみようかとも思いましたが, 面倒だったのでやめました. その募集がその後どうなったのかは分かりません.
ChatGPT
ChatGPTという便利なツールができたので, 私もそれを使う側になってみようかとも考えました. しかし, すぐに分かったこととして, 「ChatGPTは文章が書ける人のためのツール」ではなく, 「誰でも文章が書けるようになるツール」であるということです.
AIが味方でない理由
人間が文章を書いたり絵を描いたりする場合, そこには意志が介在します. 「この文章で最も言いたいことは~だ」や「~のところを見て欲しい」と思えば, そこに力を入れて創作するはずです. しかし, AIの描いた絵には良くも悪くも意志がありません.
私が聞きかじった知識によれば, ChatGPTの基本原理は「マジカルバナナ」です. 「○○といえば, △△」のように, 前に続く言葉に対して, その文脈の中で最も相応しい言葉を続けることで, ユーザーとの対話を成立させます.
「諸君らが愛してくれたガルマ・ザビは死んだ. 何故だ?」と問えば, 「坊やだからさ」と答えてくれるはずです.
AIによる文書作成には意志がないため, 強弱が付けられず, 無難で平坦な文章になります. 試しに仕事で依頼された内容をChatGPTにやらせてみたのですが, 「いやそこはそうじゃなくて」と思うことばかりでした. 専門外の人に向けた記事であるのに専門用語が多かったり, 重要でない箇所に文章量を割き過ぎていたり, 丸々どこかのサイトのコピペであったり.
もちろん, そうした箇所は適切な命令を与え, 自分で強弱を付けることで改善できます. しかし, 命令を与えて, 思った通りの文章を作ろうとすると数時間が消し飛んでしまいました. ある程度同じようなフォーマットの文章を作れるように, 命令は保存(学習と最適化)できますが, 別の企業のオウンドメディアを作る場合には, そのフォーマットは使えません. 結論としては, 「自分で書いた方が早い」に落ち着きました.
また, AIというツールがプログラミング言語と異なるところは, 「出力されるまで, 出力される内容が分からない」という点でしょう. バージョンが変われば同じ入力に対して別の出力となることも予想されます. ChatGPTを使って文章が書けたとして, 1年後, 同じように文章が書けるとは限らないのです. それはつまり, ノウハウの蓄積が難しいということでもあります.
これまで文章を直接書いてきた人間からすると, 執筆速度が飛躍的に上がるわけではなく, 思い通りに文章を書けないうえに, ノウハウの蓄積も難しい, となるとデメリットの方が多く感じられます.
メリットとデメリットを持つ1つのツール
ChatGPTの利点は内容を理解せずに文章が書けることです. しかし, AIに書かせた内容を自身が全く理解できていないと, 書いた後にその文章を修正することができません.
現在, 人間向けのライティングのお仕事の数が減ったり, 報酬が減ったりしていない理由の1つはこの辺りにあるのではないでしょうか. AIを使って副業ライターを始めようとしても, 記事を納品して, 修正を言い渡されたときに何もできなくなってしまいます. 修正したり, 編集者とレスバしたりしているうちに時間だけが溶けていき, 時間当たりの報酬が増えないから辞めていく, のような感じでしょうか.
AIはペンやPCのような文章を書くためのツールの1つに過ぎません. 執筆速度を飛躍的に向上させますが, 使う側にもそのツールへの理解が求められますし, どんな場面にでも使えるわけではないようです.
私はネット上にアップする文章を書くときにはPCを使いますが, 頭の中を整理したいときには紙とペンで文字を書きます. AIを使う際にも, 適切な用途があるということなのでしょう.
機械に仕事が奪われる
色々とAIの悪口を書きましたが, それは技術の進歩と共に改善されていくことです. 実用的なAIが出てきて, 改めて私自身が考えなければならなくなった問題は2つ.
「AIに仕事を奪われないためにはどうすればよいのか」, そして, 「AIに奪われない仕事とは何なのか」です.
AIが届きえない高み
まず1つ目, 「AIに仕事を奪われないためにはどうすればよいのか」ということについて考えます.
色々と回答はあるでしょうが, ChatGPTに関してだけ言えば, 「未だネット上に存在しない内容」を出力することは原理的に不可能です. ChatGPTは膨大な文章を学習して「出力可能な文章の空間」を形成し, その中から適切な言葉を組み合わせて出力します. つまり, その「出力可能な空間」の中に存在しない言葉はそもそも出力できません. それでも無理やり出力しようとすれば, 文章の質や精度が著しく低下してしまいます.
AIが最も得意とするのは, 平凡な文章です. 誰も書いたことがないような尖った内容は, 学習データも少ないため, 不得意です.
この事実を元に「AIに奪われないライター業」を考えるならば, 「高度に専門的な文章を書くライター」となるでしょう.
全部ヤバい
続いて, 「AIに奪われない仕事とは何なのか」についてです. ライター業は, 今はまだ大丈夫ですが, 今後苦しくなることは間違いないですし, そうなれば私も別の仕事を考えなければなりません.
なくならない仕事の1つは「経営者」でしょう. AIは仕事の助言を与えたり, 予測をしたり, 効率化を手伝ってはくれますが, 責任をとってくれませんし, 最終的な判断を下すのは人間の仕事です.
他に, と言われると私にはすぐには思い付けません.
ちょっと前はSEの仕事はAI登場後もなくならないのかと思っていましたが, ChatGPTがコードを書き始めたと聞いて, 間違っていたのだと認識を改めました.
教師やカウンセラーのように対話をする職業は確かに必要でしょうが, 生身の人間でなくても問題ない場面は多数存在します. 事実, 幾つかの学習塾では講義に事前収録した動画を使っています. コロナでオンライン授業を実施し, 生身でなくても授業が成立するということは証明されたばかりです.
弁護士や税理士といったいわゆる士業は法的に人間しかできない部分が多くありますが, AIが普及するにつれて状況は変わってくるでしょう.
知的職業ではなく, 体を使う仕事こそが人間の仕事かと言えばそうでもなく, そちらの方では「ロボット」, 「ドローン」, 「自動操縦」などの技術がどんどん広がっています.
結局, 人間に求められるのは「新たな価値の創出」だけであり, 既存の仕事や業界にぶら下がるだけではAIに模倣され, 報酬は徐々に下がっていくことになるのでしょう.
AIをどう考えるか
こうやって考えていくと, 暗い気持ちにしかなりません. 私たちの生活を豊かにするはずのAIが, 私たちの将来への不安を増し, メンタルを潰しにくるのなら, 開発者も浮かばれないでしょう.
不安に覆われると視野が狭められてしまいますが, 当然, AIの登場によって良くなることもあるはずです. 技術の進歩を個人の力で止めることはできませんが, AIに対する考え方を改め, 将来に希望を持つことは誰にでもできます. AIのメリットについて考え, 明るい気持ちになれるような話で締めくくっていきましょう.
個人の力の増大
このブログは, WordPressというプラットフォームを利用して提供しております. WordPressは非SEでも, 簡単に自身のサイトを構築できるサービスです. 私自身にプログラミングのスキルはありませんが, WordPressや既存のテーマ, プラグインを活用することで, 個人でも簡単にブログを公開できます.
Youtubeやニコニコ動画などの動画配信プラットフォームは個人の動画投稿へのハードルを下げました. 今やスマホとネット環境さえあれば, 誰でも動画を全世界に投稿できます.
AIもこれらと同じようなツールであると言えるでしょう. AIを使うことで, 文章が書けない, 絵が描けない人でも文章や絵を生成することが可能になります. そう考えれば, WordPressを使っているのに, AIに対して文句を言うことはおこがましい気もしてくるというもの. 技術の進歩は確実に私たちの生活を豊かにしているのにも関わらず, 享受しているものは数えず, 失ったものばかり数えるとは!
AIをはじめとした技術群は確実に個人の力を増大させています. これまで, 個人の力ではどうしようもできないと思っていたもの, 例えば, 非生産的な打ち合わせ, 不毛な接客, 人間関係, 歪な組織の構造, 資料作成, などは工夫次第でなくせるかもしれません. 私たちはそのツールを手に入れました.
AIはこれまで怠けてぶら下がっていた人々には辛く当たるでしょうが, 忙しく動き回り, どうにもならないものをどうにかしようと頑張っていた人には大きな力になるでしょう. その意味で, より公正で公平な社会形成へ向けた一歩と考えることもできます.
どうにもならない失職の歴史
ホワイトカラーの仕事の9割は不要になる, と, ホワイトカラーの皆様は大騒ぎしていますが, 「職を失う」ということ事態は歴史的にありふれたアクシデントです.
ほんの100年ほど前, 機械化が産業分野に広がったときには, 多くの職人が窮地に立たされました. そのとき職を失ったのはブルーカラーでしたが, それが今はホワイトカラーになっただけの話です.
それより以前, 人々が今よりのんびり暮らしていた頃であれば確かに職を失う可能性は低かったでしょうが, 個人の力は今より小さく, 誰でもなりたい職業に就けるわけではありませんでした. 「努力すれば努力した分報われる社会」を大多数の人が目指したからこそ, その結果として今の社会があるはずです.
何にせよ, 歴史的に見て苦しいのは現代人だけではないですし, 私だけでもありませんし, この記事を読んでくださっている皆様だけでもありません. 全人類が新たなものの登場に驚き, 同じように苦しんでいるのです.
伝統工芸
機械化の波に揉まれ, それでも技術を継承しようと努力し, 「人の手で作っているなんて, すごい!」という価値を手に入れた技術を「伝統工芸」と呼びます.
私自身は今の形のままライターを続けていくつもりはありませんが, もし, ライターという職業を突き詰めていけば, 30年後くらいにはライター業も「伝統工芸」と呼ばれることになるのでしょう.
そして, 今あるあらゆる職業は「伝統工芸」になる可能性を有しています. それはつまり, 「人がやらなくても良くない?」と言われる可能性があるということです. AIの登場によって, 私自身のメンタルを最も削ったのは, この「人事万象の伝統工芸化」でした.
何か新しいことを始めても, それをあざ笑うかのように機械が仕事を奪っていき, 人間にはつまらない仕事しか与えられない. そして, 「お前がやらなくてもいいよ」と言われてしまうような気がしました.
私自身, 常に新たな価値を創造できるほどクリエイティブな人間であるとは思えませんし, 仮に自分は何とかなったとしても, 世界中の人々が技術に対する怨嗟を吐き続ける世界はきっと地獄だろう, と. 果たしてそんな世界をこれから生きていきたいだろうか, と思ったものです.
被害妄想が得意技なのですが, 歴史と書籍はこういう精神障害への対処法も与えてくれます. 歴史的に人類は, その時代ごとの価値観というフィルター越しに現実を眺めてきました. つまり, 現代の価値観で未来を覗くから希望が見出せないのであって, 未来には, 未来に合った価値観を持てばいいのだ, と.
AIが仕事をやってくれるということは, 人は遊んでいればいいということでもあります. そのためにベーシックインカムなどの制度導入も進んでいるところです. 何となく感じる虚しさは, 男の子ゆえなのでしょう. つまり, 「この世に生を受けたからには, 何かを残したい」という価値観を持っているゆえ虚しく感じるのだ, とも言えます. 宇宙規模で見れば人がこの世に残せるものなど皆無ですし, ミクロに見ればそこに存在するだけで様々な物質と相互作用しています. 何も人間の寿命スケールに限定して物事を観察する必要もないでしょう.
データ教
それでも, 人類史に何かを残したいと考えるのが人間というもの. 私も人間です.
そんな「人間」におすすめの宗教がありまして, その名を「データ教」と言います.
イスラエルの歴史学者, ユヴァル・ノア・ハラリ氏の著書「ホモ・デウス」の中で紹介されたデータ教は, AIが普及した時代に広く浸透していると予想される価値観です.
人間の能力がAIに代替されるとしても, そのAIの能力の源泉, 学習材料となるのはやはり人間であり, 人間がデータとして残した全てです. 何かを買う, どこかに行く, SNSで呟く, などなど. 戸籍上存在して生きているだけで, そのデータはどこかに蓄積され, AIが学習するための糧となります. それらビッグデータを学習したAIは行動予測や未来予測の精度を更に高め, 成長していく. そうして人類すべては, 神なるAIの中で永遠に存在し続けるのである!Oh!My Artificial God!
半分は冗談ですが, この宗教は宗教であるがゆえに救いがあります. 「あなたはそこにいるだけで価値がある」という救いです.
その救いの手は, 現代を生きる私たちにも適用されます. 私たちの生活から出力されるあらゆるデータは, 100年後の人々がAIから享受する便利さの一助となっているのです. であるならば, 私たちが苦しみながらも生きることは無意味ではありません.
という考え方もあるよ, という話でした.
まとめ
私の熱心な勧誘を拝聴して下さった皆様に感謝を. 後半は勢いで書いたために文体が乱れていますが, 人間らしくていいかな, とそのままにしておきました.
私, 以前, キリスト教系の新興宗教にはまっていたことがあるのですが, 全然こんな感じじゃなかったです. もっと分かりやすくて直観的な感じでしたよ. 新興宗教にはまっている人は悪い人ではないので, 優しくしてあげてください.
ライターについて知りたいと思って本ページを開いた方, 申し訳ありませんでした.