『ていねいな暮らし』の逆襲

アニメと現実をごっちゃにしながら, 『ていねいな暮らし』 的なものについて語り, 社会の趨勢を考えます.

やさしいファッションと日常系アニメ

無印良品ブランドが提示する 『ていねいな暮らし』 は, 「日々を丁寧に生きることが健康や社会的成功に繋がっていく」という考え方です. ある意味インパクトのある言葉ですので, 誰しも一度は耳にしたことがあるのでは.

どこが発祥なのかよく分からないのですが, 私個人は 『ていねいな暮らし』 と聞くと無印良品がイメージされます.

無印良品ブランド創設者の談によれば, 元々はパリの生活スタイルから着想を得たものとのこと(※1). 確かに欧州の方々は日本やアメリカに生きる人より, 日々の生活を大切にしているイメージがあります.

ここで, 私個人の態度を嘘偽りなく述べておきましょう.

私は 『ていねいな暮らし』 を憎んでいるわけでも積極的に伝道しているわけでもなく, 離れたところから馬鹿にしています. それは 『ていねいな暮らし』という言葉から 「目的なく日々を生きる」 というニュアンスを感じてしまうためです.

日々を漫然とやり過ごすことを正当化しているだけではないか. 意識高い系ポーズではないか, と. そもそもなぜ「ていねい」が平仮名なのだと思わずにはいられません.

これが陽の光の当たるところに生きる方々の先端ファッションならば, 心の平穏に対して何の問題もありませんでした.

しかし, オタク文化にも 『ていねいな暮らし』 と似たようなものがあることに気付きます. それが 『日常系アニメ』 です.

日常系アニメの中で描かれるのは, 困難を乗り越えることでも, 目標に向かって突き進むことでも, 人間ドラマでもありません. ただの日常です. そこではまさに 『ていねいな暮らし』 が描かれています. 毎日をていねいに, 楽しく生きる主人公達の生活は自然と良い方向へ進んでいきます.

(※1)無印良品を立ち上げたチームの“レジェンド”に聞く、ブランド立ち上げ成功のポイントとは?

ていねいな暮らし vs 成功論

思えば, 学生時代から日常系アニメへの態度を決めかねていたような気がします. 「癒されるよ」と人に勧めることはできるものの, 「このアニメが大好きだ」と公言することは憚られる存在でした. 日常系アニメを溺愛することは, オタクとしての堕落だと感じていたのです.

『ていねいな暮らし』に対する私の態度と似ています.

今では 『ていねいな暮らし』 と 『日常系アニメ』 には根っこで共通するものがあるように感じています. それは「生活と成功に対する優先順位」です.

どちらも「生活を良くしていけば, 自然と物事が良い方向へ進んでいく(成功する)」と考えています. 生活を良くすることが先で, 成功は後から付いてくるものです.

これと真逆にあるのが, 昭和的な成功を至上とする考え方でしょう. 「この世に生を受けたならば何らかの足跡を残したい」という考え方や, 「社会的に成功すれば, お金も, 人間関係も, 健康も, 良い暮らしも手に入る」という思想です.

アニメで言えば, ジャンプ系の冒険譚やバトル系アニメなどが対応します.

この 「ていねいな暮らし vs 成功論」 の構図は, 「気分ドリブン vs 目的ドリブン」 と言い換えることもできるでしょう. つまり, 「今現在, 自分の感情が満たされていることを優先する」か, 「将来的に目的が達成されることを優先する」かという違いです.

個々人の中の 『ていねいな暮らし』 成分

『ていねいな暮らし』 を下に見てしまうのと同じように, 「成功」 に憑りつかれた人を見たときにも私の中に馬鹿にしてしまう気持ちが生じます.

「成功するのは一部の人だけだ」, 「現実を見ろ」, 「成功したから何なのだ」という心の声は消えません. 『ていねいな暮らし』 を馬鹿にしているのと同じ人間が, です.

思うに, 一人の人間の中には 『ていねいな暮らし』 を求める部分も, 『成功』 を求める部分もあるのでしょう. そのパラメータが人によって多かったり少なかったりして, 時々刻々変化しているのだろうと思います.

ここで一つ, 私自身の体験談として具体的な話を.

自身の中の 『ていねいな暮らし』 成分の強度を測る指標として分かりやすいなと感じたのは, 『カフェ』です.

カフェのコーヒーは, コンビニやスーパーで売られているコーヒーよりかなり割高に販売されています. 同じ味のコーヒーを自宅で飲もうとすれば, 1/10 くらいの値段で済むはずです.

「成功論」 的成分が強い人ならば, カフェで飲むコーヒーを馬鹿らしく感じることでしょう. 「カフェで仕事をすると捗る」というような付加価値が無ければ, カフェでコーヒーを注文しないはずです.

対して 『ていねいな暮らし』 成分が強い人は, その場でコーヒーを嗜んでいるという状態が重要になります. それだけで精神的充足を得られ, トータルで見たコスパはプラスに働きます. カフェによる精神衛生上のメリットが大きければ, 足繫く通うことになるでしょう.

つまり, どれくらい頻繁にカフェに通っているのか, によって 『ていねいな暮らし』 成分を測ることができるわけです. また, ここでは一例として 『カフェ』 を挙げましたが, それがフィットネスジムでも, 友人と食事, でも構いません. 『いるだけで精神が充足される場所』 にどれだけの時間を投資しているか, という問題です.

対して, 職場や研究室, 営業などの仕事に時間を使うだけで, 「自分は有意義な時間を過ごしている」と考える人, 逆に言えば, それ以外の時間は無為に感じ, 焦燥に駆られてしまうという人は一定数います. というより, 個々人の中にそうした成分がある割合で含まれているはずです.

これら成分の強度は外的要因によって変化します.

ブラック企業の過酷なノルマや現実の壁, 成功論の与える夢に疲れたときは, その反動として 『日常の癒し』 という栄養素が必要になり, 『ていねいな暮らし』 的なものを求める心の声が高まるのでしょう. そして, 日常系アニメを見るわけです.

寝そべる理由

「アメリカンドリーム」という言葉は, 成功論の最たるものでしょう. また, 一昔前の中国では成功を求めるハングリーな若者が溢れていたそうです.

もちろん, 今でも中国のハングリーさは日本以上でしょうが, 中国国民が豊かになるにつれて, そうしたハングリーさも減少に向かっています. 近年では無気力で, 成功を追い求めず, その日の暮らしを良くすることを求める「寝そべり族」なる人が増加しているとのこと.

社会が豊かになり, 何もしなくてもある程度の良い暮らしが得られる状態, かつ, 無謀な挑戦がリスクになる状況においてはこうした人々が増加することも当然でしょう. 寝そべり族なる人々は, 本人が置かれた状態で最も合理的な選択をしているに過ぎません.

『ていねいな暮らし』 が流行る理由も同じでしょう. 社会的成功によって得られるトータルのメリットと, 暮らしの向上を目指すことによって得られるメリット, 2つを秤にかけたとき, どちらが得に見えるのか, という問題です.

波はどちらか

挑戦のリスクが大きく, 現状に留まることのメリットが大きいならば, 今後も継続して 『ていねいな暮らし』 的なものは人々の生活に広がっていくことが予想されます.

この 『ていねいな暮らし』 的運動は, 一方では, 過剰な昭和的成功追求モデルへの反動であると言えるでしょう. では, 現在広がりつつある 『ていねいな暮らし』 に飽きた人々による, 成功追及へのバックラッシュの流れはやってくるのでしょうか.

この疑問に答えるため, 昭和的成功追及モデルがどこから来たのかを考えてみようと思います.

日本の場合, こうした 「成功論」 が生まれた背景にあるのは高度経済成長でしょう. この時期に「努力して成功すれば生活は良くなる」という神話が誕生し, それが現在に至るまで長く尾を引いてきました.

世界的に見れば, 「成功論」 を牽引したのはアメリカであり, そのアメリカを支えたのは資本主義です. しかし, 資本を投下することで資本自体が無限に増殖するという神話は次第にその信憑性が失われつつあります.

持続的に技術が発展し, イノベーションが起き続けるという条件下において, 上記神話は間違いではありません. しかし, 本当にそのような条件は成立するのでしょうか.

人類史を長い目で見れば, ここまで急速に技術が発展し, 人々の生活の質が向上するような状況は今後長らく起きない, と私は考えます. であれば, 「一時のブーム」はどちらなのか, と問わずにいられません.

『ていねいな暮らし』 的生活スタイルは, 昭和的価値観を受け継ぐ私たちの目には, 空虚で, 無目的で, 諦めを含んだ「負け」として映ります. しかし, 昭和的成功論こそが特殊な考え方であって, 人類としてベーシックな水準に立ち返りつつあるだけなのではないでしょうか.

結論として, 今後再び 「成功」 を追い求める狂騒期が訪れることは当分ないでしょう. しかし, それを寂しいと感じるのも私たちが一時の熱にうなされていた故のこと. 時間が経って冷静になれば, それを寂しいと感じることもなくなるはずです. 生き急いでいた, 馬鹿な夢を見ていた, と感じるのではないでしょうか.

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